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『メモリーズ』
言葉が出てきません。一度は目にしてもらいたいと思います。犬と一緒に暮らす事をもう一度真剣に考えさせられる内容になっています。 JKC不良ブリーダーの実態 ペット産業の悲惨な裏側です。許し難い事が告発されてます。 ペットのイエローページ ペットに関する情報網がテンコ盛り♪役立つ情報が見つかるかも♪ ドッグ・ガイド byアニマルプラネット スカパーで放送されている動物専門チャンネルのアニマルプラネット。そのアニマルプラネットの犬専門サイトがこのドッグ・ガイドです。 だいじょうぶ?マイペット だいじょうぶ?マイペットは、信頼できる獣医師・専門家から無料でアドバイスが貰えるサイトです。あなたのペットに関する素朴な疑問・質問や不安をご相談ください。 シニアドッグ 老犬のためにできること 愛犬のシニアライフを快適にしてくれる応援サイト。病気の予防やケア、獣医さんとの関係や保険、ペットロスや葬儀についてなど、役立つ知識が満載。 LIVING WITH DOGS ただ、犬が好きというだけではなく...。ただ、犬がかわいいと思うだけではなく...。愛すべき犬との暮らしを大切にしていこう。そして、愛すべき犬と人間のより素晴らしい共存のために、犬と社会のもっと多くのことを考えていこう。 カテゴリ
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Mダックスのお嬢が綴るオテンバ日記へようこそ。
常連さんも初めて来られた方も、お気軽にコメント残していって下さいね♪ 皆様のコメント楽しみに待ってま~す(^^♪ 画像にカーソルをあてるとコメントが表示されます。
加藤大治郎選手 2003年の4月に開催されたMotoGP開幕戦日本GPで、日本人ライダーの加藤大治郎選手がレース中のアクシデントにより、他界してしまいました。彼は日本人として初のMotoGPクラスチャンピオンを期待されていた、稀代のライダーとしての扱いを受けていました。日本での知名度は余りありませんでしたが、ヨーロッパでの彼の評価は絶大なものでした。 今日は大治郎選手が生きていれば、30歳の誕生日になっていました。大治郎選手のゼッケンは74でしたが、これは7月4日産まれの大治郎選手の誕生日が由来となったゼッケンとなっていました。 大治郎選手はMotoGPにデビューする以前に、ワイルドカード枠と呼ばれる参戦枠から、当時のWGP250ccクラスへ参戦、優勝を果たしたという実績をもつライダーでした。世界中からいつGPの世界へ参戦してくるのか?と騒がれる人物でした。 2000年に世界GP250ccクラスへの参戦を果たし、イタリアのチームに籍を置くこととなりました。参戦初年度はランキング3位の成績を残し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。翌2001年には250ccクラス歴代最多勝となる11勝をあげ、この年のチャンピオンに輝きました。日本ではF1以外のレースにスポットが当たる事が少ないですが、チャンピオンに輝くという功績を認められ、文部科学省から【スポーツ功労賞】を受賞しました。 2002年から念願の最高峰クラスへの参戦を果たしましたが、この年からレギュレーションの変更により、それまでの2ストローク500ccのマシンから、4ストローク990ccのマシンが認められました。大治郎選手は500ccのマシンでの参戦となりましたが、新しく開発された4ストロークマシンの戦闘力は尋常じゃなく強く、大治郎選手をはじめとする2ストローク500ccマシンを駆るライダー達は苦戦を強いられました。 そんな中でも劣勢のマシンを操り、スペインで開催されたGPでは2位表彰台を獲得するなど、世界中を驚かせる活躍をみせました。マシンの劣勢はシーズンが進むにつれ益々戦闘力の格差は広がる一方でした。シリーズも後半戦に入ると、HONDAが満を持して大治郎選手に4ストロークマシンを提供することとなりました。 ぶっつけ本番ともいえる形でのマシンの乗換えとなりましたが、いきなり2位表彰台を獲得し、当時のチャンピオンのV・ロッシをして脅威を感じたコメントを残しています。地元となる日本でのパシフィックGPでは、ポールポジションを獲得し、念願の優勝を期待されましたが、マシントラブルにより優勝の夢はおあずけとなってしまいました。MotoGPクラスへの参戦を果たしたこの年は、結局一度も優勝することなくシーズンを終える事となりました。 2003年はシーズン当初より4ストロークマシンを提供され、タイトル争いの最有力候補にあげられ、世界中から熱い注目をあびていました。シーズンの開幕前のテストの段階では、マシンに問題を抱えているかの様な発言が目立っていましたが、いよいよ2003年のシーズンが開幕されました。 加藤大治郎選手 開幕戦は地元日本で開催され、多くのファンに期待されたレースとなりました。しかし、テストの段階から問題を抱えていた大治郎選手は、好調とはいえない状況でのレースとなってしまっていました。予選順位は11位という大治郎選手らしくないポジションとなりましたが、レースが始まるとポジションをあげて5番手争いの集団でのレースとなりました。 3周目にシケインの進入でマシンが大きく振られ、コントロールを失い時速270km/hとも云われるスピードで、コース脇のタイヤバリアに激突し、タイヤバリアと壁の間に頭を挟まれた後、コース上まで投げ飛ばされる形となってしまいました。ヘリコプターで病院へと搬送されましたが、意識不明の重態のまま、一度も意識を取り戻すことなく4月20日に脳幹梗塞により短い人生を終えてしまいました。 大治郎選手と最後に言葉を交わしたのは、レース前日の鈴鹿サーキットのパドックでした。大治郎選手は『シケインが変わって、そこがうまく攻略できない。リアが思ったように決まらない』という話をしていましたが、僕は楽観的な感じで『まぁ、予選は悪かったけど、決勝はいいトコいけるんじゃない♪』と話をしていました。大治郎選手は微笑みを浮かべながら、なにも言わずに笑っていました。 加藤大治郎選手 クラッシュを起こした時は、僕はクラッシュ現場から離れたS字コーナー辺りにいました。大治郎選手がクラッシュしたという場内アナウンスを聞いて、『かぁ~!何やってんだよ~!まだ序盤なのに~』と叫んでました。まさかその時はそんなにシリアスな状況になっているとは全く思っていませんでした。 レースの後にアナウンスで『加藤選手は頭を打っているので、病院へと搬送されました。』という情報だけが流され、別段大きな問題になっているとは思いませんでした。レースの後でパドックに向かうと、関係者達の姿が殆どみられませんでした。開幕戦だった事もあり、バタバタしてるんだろうと思いながら、色々な関係者を探しては話をしていました。その時にみんなの顔が青褪めた感じになっていたのですが、大治郎選手のことでシリアスな状況になっているとは全く知らされていませんでした。 加藤大治郎選手 帰路についていると、ホンダの関係者から連絡が入り、ようやく事故の状況が尋常じゃない事を知りました。『大ちゃんがヤバいんです…さっき一時心臓が停止して呼吸もとまってしまったんです…』と聞かされ、頭の中が真っ白になってしまいました。その日の深夜に関係者から連絡が入り、『本当にヤバい状態になっている』と聞かされました。4月10日の晩にも連絡が入り、まだ公表できないけど脳死状態と宣言されたとの話を聞かされました。折りしもその日は僕の誕生日で、忘れられない誕生日となってしまいました。それから10日が経過して、20日の未明に大次郎選手は永眠してしまいました。 まさに天才と呼ぶにふさわしいライダーだったので、喪失感は相当なものでした。亡くなった当時、大治郎選手には生まれたばかりの娘がいました。大治郎選手は自分の娘の名前もしらないまま、旅立ってしまったことになります。それが余計に悲しみを増大させました。享年26歳、まだまだやるべき事がたくさんあった筈なのに、とても残念でこれを表現する言葉未だに見つけられません… 功績を称えMotoGPの永久欠番になりました
by sweet_heng
| 2006-07-04 12:46
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